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明石家さんま 沢田研二 2
ジュリーにつっこまれる!?
らしくないぐっさん・・・
スーパースターに舞い上がる~
今田のてのひらには・・・!?
◆沢田 研二:データ
沢田 研二(さわだ けんじ、本名:澤田 研二、1948年6月25日 - )は、鳥取県生まれ、京都市出身の歌手、俳優、作曲家。ニックネームはジュリー。妻は女優の田中裕子。1960年代後半のグループサウンズ全盛期から1980年代半ばにかけ活躍した日本音楽界に於ける元祖スーパースター。シングルの総売上は1,239万枚(ザ・タイガース、PYG時代を含めると1,666万枚)で日本歴代34位。
京都市下京区四条河原町にあったダンス喫茶「田園」でドアボーイのアルバイトをしている時、出演していたサンダースに声をかけられ、沢田はローディー(付き人)兼ヴォーカリストとして加入する。その後、同じく田園に出演していたサリーとプレイボーイズのサリー(現在、俳優の岸部一徳)にリード・ヴォーカルとして誘われた沢田は、1965年12月に鴨沂高等学校を中退し、翌年の元日に正式にメンバーとして加入、グループ名を「ファニーズ」とした。
沢田らファニーズは、ジャズ喫茶ナンバ一番で共演したロック歌手の内田裕也より「俺と一緒にやんねぇか?」と声を掛けられる。「沢田と岸部だけ欲しい」という渡辺プロ側との間で紆余曲折の末に当時リーダーであった瞳みのるが特使として東京代々木上原の内田裕也宅を訪ね、その熱意の甲斐あって、メンバー全員が渡辺プロダクションと契約。上京後、「ザ・タイガース」と改名。1967年2月5日にシングル「僕のマリー」でデビュー。セカンド・シングル「シーサイドバウンド」、そして「モナリザの微笑」でブルーコメッツ、スパイダースと肩を並べ、「君だけに愛を」で一気にグループサウンズ(GS)の頂点へと躍り出る。とりわけ端整な美貌の持ち主である沢田は10代の少女を中心に熱狂的な人気を博し、一躍国民的アイドルになった。
ザ・タイガースは1971年1月24日に日本武道館で行われた「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」で解散。
ウィキペディア(Wikipedia) 参照